【異文化感受性発達モデル】海外生活になじめない自分をどう捉えればいいのか?

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誕生日でした!
夫に祝ってもらいました。
幸せをかみしめる一日の中で、大きく反省したことがありました。

今、異文化になじめない方とシェアしたいです!

異文化での情けない自分

私は今、夫のサポートなしでは生きていけない環境で生きています。

厳密に言えばどんな人でもだれかに支えてもらって生きていると思いますが、そうではなくて、外国に暮らし始めて文化の違いや言葉の壁にぶつかっている、という意味です。

例えば「病院に行く」ことは私は一人ではできません。夫の通訳が必要。そんな感じです。

私はブラジルに嫁いでから今まで、楽しかったことよりも、不安で怖かったことの方を強く覚えています。
自分ではどうにもできないのに、そんな自分が情けなくて、サポートしてくれる夫に八つ当たりする。
そんな行動を繰り返してきました。

それでもそうしないと自分がどうにかなりそうでした。
言いたいことを言わずに、良い人間でいようとすることはできませんでした。

だから私はこのブログでも、「自分がへこんでいる時には、ブラジルのご飯がすべて肉と油の煮込みに見える」とか、「ブラジルのお菓子ブリガデイロはチョコレートと練乳でできていて、私には甘すぎる」と書いてきました。

なるべく本音を自分のブログに書くことで、もし同じように感じている方がいたら、「同じように感じる人がいる」と安心してくれるかもしれない、と思っているからです。

そういう思いから、ブラジルでの経験について率直な思いを書いてきました。
でも、今日、それでもブラジルの文化を否定するような言動は、悲しい行動だったと反省しました。

文化は人々の思い出とともにある

最近、こんな発見こんな経験をして、だいぶ「自分」が戻ってきた感覚があります。

自分が自分らしくいる、生活は自分次第でどうとでも好きなようにできる。
そういう自信があると、こころに余裕ができてきます。

夫にも「あれしてくれない!」「コレもしてくれない!」と腹を立てる気も起りません。

そんなことより、夫が頼りになるし、愛情をどれだけ注いでもらっているか、改めて身に沁みます。
幸せだな、一緒にいて心からくつろげるな、と満たされた気持ちになりました。

「遅れてきた新婚時代」とでも名付けたいくらいです。

今日は彼と一緒に散歩をしたりワインを開けたりして一日ゆっくり過ごしました。

会話の中で、彼が子どもの頃に参加したお友達の誕生日会の話になりました。
その時彼が言ったんです。

「友達の家に行くと、ケーキやブリガデイロがいっぱい用意されていて夢みたいだった!」

その時、彼が子どもに戻ったような顔をした時、私はやっと気が付きました。

私にとっては甘すぎるブリガデイロ。
でも、彼にとっては子どもの頃からの楽しい思い出がいっぱい詰まっているものなんだと。

彼だけじゃないです。

ブリガデイロというお菓子は、ブラジルの人々子どもの頃から食べていて、それぞれにワクワクしたり美味しいな!!!と思ったりした思い出があるものだ。そういうことに、やっと気が付きました。

それを思うと、たとえ私は好きではないとしても、ディスる行為はとても悲しいものだった、と思いました。お腹がズシンと重くなるような反省でした。

異文化感受性発達モデルが役立つ理由

写真:ANCHOのfacebookページより。

ただ、今は振り返って反省するものの、当時の私がそうした理由もあります。

異文化感受性発達モデルという言葉を聞いたことはあるでしょうか?

人が異文化に適応する能力というのは、人それぞれ異なるそうです。

ただその能力には発達段階があり、

1)違いの 否定
2)違いからの 防衛
3)違いの 最小化
4)違いの 受容
5)違いへの 適応
6)違いとの 統合

と進むそうです。

第1段階の「否定」は、相手の文化を認めないという意味ではなく、相手の表現が物理的には見えていても、意味のある違いとして、区別や認識ができていない状態を指す。

「例えばハリウッド映画の中の日本人役を、日本人でないアジア人が演じると、私たちは表情や話し方等の非言語表現の違いに気づき、違和感を覚えます。しかし、その映画を制作したアメリカ人監督の目には、日本人とそれ以外のアジア人の話し方や動作の違いが区別できず、同じようなものとして映っている可能性があります」(山本先生)

第2段階の「防衛」は、 相手との文化的な違いを認識しても、それに対しネガティブな評価を下し、優越感を持つことで、自分を守ろうとする 段階だ。一方の文化が正しく、もう一方は悪いと二項対立の図式で文化を考える点が特徴である。善悪の図式が入れ替わり、相手国のものが絶対的に正しく、自国のものはすべて良くないと主張するような、逆転現象が起きることもある。

第3段階の「最少化」は「日本人もアメリカ人も人間は皆同じで、泣いたり笑ったりする」と、人間の普遍性や共通性に注目して、文化的な違いは些細なことだと考える段階だ。この段階は好意に基づいているからこそ、問題が起きたときに深刻になりやすいと山本先生はいう。

 例えば『親を大切にする』のは日本もアメリカも同じですが、『大切にするとは具体的にどういう行動をすることか』はそれぞれの文化によって異なります。 福祉施設への入居を、アメリカでは親の自立や尊厳を守った行動だと解釈しますが、日本では子どもが同居する責任や思いやりを放棄したことのように捉えることがあります。こうした違いがあることを理解せずに『どちらの国でも親を大切にするのは同じ』とわかり合った気になっている時に、具体的な行動の違いに直面すると裏切られたような気持ちになり、大きな摩擦につながることがあります」

第4段階の「受容」は、人はそれぞれが属する文化の価値観に依って生きており、大事にすることがそれぞれの文化で異なることを理解し、尊重できる段階である。

第5段階の「適応」は、異文化社会の中にいるときには、その文化の価値観に視点を転換したり、その文化の価値観に基づき、行動したりできる段階である。

第6段階の「統合」は、自分が2つ以上の文化に属する際、状況に応じてそれぞれの枠組みを使いわけることができ、かつそうした行動を取れる自分自身にアイデンティティーを見いだせる状態である。

引用元:みんなの教育icon: check-circle

自分自身を振り返ると、

1)違いの 否定
2)違いからの 防衛

の段階にいたのだと思います。

このモデルを知ったことで、自分のブラジルでの態度が

私が性格が悪いからだ、とか
私が人間としてひねくれているからではない、と分かって安堵しました。

異文化に適応する能力が発達途中なのだ、と分かり、自分自身を俯瞰できました。

今から始められること

異文化の中で生きることは楽じゃありません。
きれいごとでは収まらない人間の感情が生まれます。

ただ、悪意が生まれたとしても、悪意や否定的な態度をそのままにせず、理解へと進めるためには、「優しさ」が原動力となると思いました。

それは、目の前にいる人の文化を私は理解できないけれど、だからといって否定することは悲しいと思う気持ちのことです。
(否定してしまうとしても、自分は今発達段階にあるのだ、と理解できることも大切)

異文化を理解するためには、まずは目の前の相手と一対一の人間同士として仲良くなること、友人になることから始まると思います。

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コメント2件

  • Noboru Sato より:

    よくここまで、あなたはブラジルで頑張ってこられましたね。想像も絶するような辛さだったでしょう。ご主人もあなたの辛い気持ちがよくわかっていたのだと思いますよ。これからもお二人お幸せに。

  • sleepycitybugs より:

    Noboru Satoさん
    コメントをありがとうございます。
    温かい寄り添うようなお言葉に、心あたたまっております。
    夫にも伝えたいと思います。

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