海外生活でうつ状態・ブラジル生活が苦しくて「死にたい」と思った時にやったこと
海外生活をする前には、異文化の中で暮らすことがこんなに苦しいとは思ってもいませんでした。私は、ブラジルに引っ越してから最初の頃に「こんなに辛い日々が続くのなら、今ここで死にたい」と思ったことがあります。
海外暮らしで、同じような思いをしている方がいるかもしれません。私は救うことはできませんが、思いを吐き出すキッカケにはなれるかもしれません。思いを吐き出すと、心が少し安心し、身体もちょっとだけ温まりますよ。
この経験はいつか書きたいと思っていましたが、本当に心が落ち着くまではやめておこうと思っていました。自分が渦中にいる時だと、どうしてもメッセ―ジが変わってくると思ったからです。今なら、過去の経験として書けそうです。そう、今は信じられないかもしれないですが、辛さが過去となる日が私には訪れました。だから今、もしどこかで辛い思いをしている方がいるとしたら、よかったら読んでみてください。
私のことを理解してくれる人が、この街には誰もいない
ブラジルには結婚を機に来たのですが、日本での仕事を辞め、住んでいたアパートを引き払い、実家に置いてあった自分の荷物もほぼすべて片付けて来ました。日本での過去を振り返ってみると、物理的にも、パーソナリティーとしても今につながるものが全て無くなったように思えました。
そして、「今」と「未来」。それがこのブラジルの地であり続けるのならば、楽しいことなど一つもなく、困難ばかりが訪れるように思えました。緊張続きの毎日、美味しいものを食べに出かければ物乞いの子ども達をあしらわなければいけないことや、この地の人が「美味しいよ!」と勧めてくれるものを、一切美味しいとは思えませんでした。
ポジティブなことを探そうとしても、思いもよらない結果に打ちのめされる。その状況が続くうちに、だんだんと耐えられなくなっていきました。ある時にもう堪らず、夫に向かって
「この街には、私を理解してくれる人が一人もいない!」
と訴えました。すると彼は、
「そうだよ。誰もあなたのことを分かる人はいないんだよ。」
と言いました。「この街の人は、あなたのことが分からない。彼らは彼らの生活を送っているんだよ」
今の私ならば「確かにそうだな」と冷静に受け止めると思います。でもその時は突き放されたように感じてしまいました。
ただ、当時は結婚したてで、お互いがどんな人間なのか、どんなことを望んでいるのかを、一緒に模索していた時期でした。その期間に、夫も私も内面の色んな変化があったので、この会話は今では過去のことになっています。
「死にたい」という気持ちはふいに訪れた
彼にそう言われた時は何も言い返すことはできず、でも頭の中では確かに彼の言うことは事実だとも思いました。時間を巻き戻して、ブラジルに来る前の暮らしができるわけでもなく、かと言って自分ではどうにもできない環境に対してとても辛く感じる日々。ある日ベランダで洗濯物を干しながら、「それならば今ここで消えてしまいたい。これ以上苦しみたくない。」と、そんな思いが浮かんできました。
その日は嫌な出来事もない、普通の穏やかな日だったのです。それなのに、ふと「消えたい」と思ったことに、我ながらヤバさを感じました。身体が自分を守るために、痛みを感じなくさせ始めていたのです。
私は10数年前に日本で会社員をしていた時にうつ病になり1年休職していたことがあるのですが、その時でさえ「消えたい」「人生を終わりにしたい」とは思いませんでした。その経験があっただけに、私の今の状況を「あ、いよいよヤバイぞ」と、頭の片隅で冷静に眺めていました。
当時は一触即発のような日々で、ふとしたことで私の機嫌が途端に悪くなり、彼に文句を言ってはしばらくふさぎ込む、そんなことを繰り返していました。波があって、特に生理前は自分でもコントロールが効かないほど、無気力や悲しみが襲ってきました。彼が会社へ出勤してから帰宅するまで、「やろう」と思っている家事や勉強はあるものの、結局ネットサーフィンばかりして、何もできない。そんな日を過ごしては自分に対して落ち込んでいました。
「消えたい」が表していたもの
「消えたい」
生まれて初めて抱いたその感情を、しばらく観察してみました。そしたら私の場合は、
「“消えたい、死にたい”って、夫に向かって自分の口で言いたい」
の方がより正しい気がしました。どんなに食い違っても、夫が私のことをとても好きでいてくれることは分かっていました。それに彼は、日本という安全な国から、私をブラジルへ連れてきたことに対して責任を感じていました。だから、身の安全に関わることや私を喜ばせることに関してはお金も時間もいといませんでした(それを私が喜ぶかどうかについては、「違う、それじゃない!」とちぐはぐな結果になることも多々ありましたが。)
なので、私がここに来て「死にたい」なんて言ったら、夫が心から悲しむことも簡単に想像ができました。夫を悲しませることに、後ろめたさで一杯でした。
だけど、不思議なことに、夫を困らせたいような気持ちもありました。いっそ、これで私を嫌ってくれたらいいのに。そうしたらブラジルにいる理由がなくなるから。自分でも理屈の通らない、不思議な感情でした。ただ、もし私が本当に死ぬと、夫は自分を責めて彼も後を追うかもしれないとも思いました。そう思うほど愛情を感じていたので、余計に「死にたい」と思ってしまったことに苦しさもありました
数日考えて、ある夜、私は彼にこういいました。
「私、死にたい。今日、死ぬね。でも、今日死ぬけど明日の朝には新しく生まれるから。来世(明日)で会おう。」
彼は、心臓が止まるほど、びっくりしていました。だから何度も伝えました。もう、今までがくるし過ぎたから、この生活を終わりにしたい。今夜、眠りながら一回死んできます。明日の朝起きてあなたが会う私は、新しい人生を0から始めた別の人です。と。
と。じゃねぇよ!と彼は思ったかもしれませんが、一応「OK」と言ってくれました。「そうはいっても、僕はあなたに死んでほしくないよ」と言っていました。彼が涙を浮かべたのが見えたけれど、それでも私はいっぺん死ぬ。それを想像してみると少し楽しみでもありました。ちょっと吹っ切れられる気がしました。
「死にたい」と思っている人へ
「死ぬ」なんてことを、簡単に言うもんじゃない。
私の頭のなかで、誰かのそんな一般常識が聞こえてきました。私自身も、ある時に仲の良い友達から「私は長生きはせず、早く死にたい」と打ち明けられたことがあるのですが、同じようなことを返したこともあります。
だけれど、自分が実際に「死にたい」と思ったとき、一番苦しいのは、「“死にたい”と言えない状況」でした。自分が死にたい時でさえ、相手を悲しませてはいけないというブレーキが働いて、自分よりも相手を優先しているんです。
メンヘラの人でやたらと「死にたい」と言っては、周りの反応を見て安心する、を繰り返す人がいます。そういうケースについては、正直どうしたらいいか全く分かりません。だから、私が言えるのはそういうケースについてではありません。
「生まれて初めて“死にたい”と思った時、死にたいと言えない状況はとても辛いのだ」と私は思いました。
もし同じように思うことがあったら、「私がしたように、夫に死にたいと言え」とは言いません。ただ、あなたが抱いた正直な気持ちを、今よりひとつだけ許してあげてみてほしい。
私は、そんな風に思っています。
ブラジリアより
コメント2件
こんにちは。コメントを頂いていたことに、今日まで気が付かず、申し訳ありませんでした。
コメントを書いて頂いてから、その後、いかがお過ごしでしょうか?
少しでも安心できる場所にいらっしゃるといいのですが、、、。
どうやって乗り越えたか、
きっとはなさんもそうだと思うのですが、私も沢山の日々の小さなチャレンジを重ねました。時間もお金もかかりましたが、今は心が安定しているのでそれだけの価値はあったと思えています。
そして、プロのカウンセラーに相談したことも、大きな転機だったと思います。
その時の経験は記事にしているので、もし必要だったら読んでみてください。
http://sleepycitybugs.com/2018/10/29/support-for-depression-being-in-abroad/
まずはご自分を大切に、正直に浮かぶどんな気持ちも否定せず、
観察なさって見て欲しいなと思います。
(アフリカ、いつか行ってみたいです♪)
はじめまして。突然のコメント失礼いたします。
私も今全く同じ状況です。とても共感しました。違うのは場所がアフリカ、唯一の味方である夫からも否定されることです。普段は優しいのですが。
孤独感に押しつぶされ、消えたいです。でも怖くて実行できず…。どうやって乗り越えたのでしょうか?