最後に!もう泣かないでいいし、もう大人になっていい!

Pocket

突然ですが、このブログは今年いっぱいで閉じることにしました。

今まで読んでくださり、ありがとうございました。

 
 

最後の記事では、なぜ閉じるのか?について書きたいと思います。

 

父親にバレているのが恥ずかしくてたまらなくなった

 

このブログは、ブラジルへ嫁ぐという経験を通して、驚いたことや新しい発見をシェアしたくて書いていました。また、日本にいる家族に「元気でやっているよ」と伝えたくて、家族にもこのブログのことは伝えていました。

 

私は今、2年ぶりに日本へ帰国しています。12月の頭に実家に帰ってきて、驚いたこと。それは「父が、色んな人に“娘がブログをやっていましてねぇ、、、”と言いふらしていること」でした!

最悪なのは、周りの人が聞いてもいないのに、父の方からこの話を切り出しているようなのでした。

父は70歳で、その年齢になると、高校や大学の同窓会へ出席することも年に何度かあるようです。その度に、宴会で酔っ払った父は、だれにも聞かれていないのに、このブログのことを話し出すのだそうです。

  

正直、すごく恥ずかしいです。

 

ブログの存在を父へ教えたのは私です。それに、父は悪気があるではなく天然でそうしてしまうので、もうどうしようもない。だったら、私がこのブログを辞めよう、と思いました。

 

「それくらいのことで、、、。」と、思われる方もいらっしゃるかもしれません。でも、私にとっては再度のトリガーだった、というか、幼いころから我慢してきたものがあふれ出たような感じがありました。

 

ひいきされるのが、ずっと嫌だった

私には他にも兄弟がいます。私の勝手な思い込みかもしれませんが、昔から父は、私だけをひいきしていたように感じていました。父の友人に「自慢の娘です」と紹介されるたびに、ほかの兄弟については同じように言わないことをすごく悲しく思っていました。

 

私が大学受験で合格したり、就職したり、ブラジル人と結婚したり、ブログをやったりするたびに、父は周りの人が聞いてもいないのに、大声で私が今なにをしているのかを言いふらして回りました。ほかの兄弟について、同じように言いふらしている姿を私は見たことがなかったので、父が外で私をほめるたびに「頼むからやめてくれ!」と心がえぐられるようでした。(兄弟がどう思っていたかは、私は知りません)

 

ブラジルで2年間暮らして、かえってきても、「また父さんが、酔っぱらっては私のプライバシーを町内にすべて広めている」姿をみて、本当に悲しかったです。(田舎あるある、かもしれないですが)。

「父さんは変わらないんだ、、、、。」ということを確かめに、わざわざブラジルまで行ってきたのかな?と思いました。同時に、私は地球の反対側に行っても、あっちで自分の生活を作り上げたとしても、私は泣いていた幼い頃からなにも変わっていない。だから、私が変わらなきゃいけないんだ。ということに気が付けました。

 

泣き続けるわけにはいかない

泣かされた、と思っていた。けれど、大人になった私は、泣かされているままではいけないんだ。だから、父さんにバレているこのブログはもう辞めよう。

 

それは、親を捨てる、とか親離れということと同じ意味だと思います。「元気でやっているよ」と伝えることが、結果的に私自身を傷つけるのならば、遠くブラジルに住んでいようが何だろうが、親に近況報告なんかしなくっていい。親に無断で生きて、親に無断で死ぬ方を選ぶ。極端だけれど、私は自分が泣かない方を選択したい。

 

本当は結婚するときに、そうすべきだったのかもしれません。でも、私は「結婚」という未知の生活に不安があったから、どこかで「何かあったら実家に帰ってこられるように」どこか覚悟を決めずに、いたのだとも思います。

 

そうすることで、「父さんの子である幼かった私」を卒業しなくて済みました。夫とどこか100%向き合わないで済みました。どこか、「父さんの子でもなく、夫の妻でもなく、私という個人」で生きることをしなくて済む、隠れみののような言い訳を用意していたように思いました。

 

ただ、

 

幼かったころの私は、思ったよりも純粋に傷ついていた。

32歳で結婚した私は、思ったよりも純粋に未来を目指していた。

 

それをサポートしていないのも、それもまた自分だった。

 

私という個人を生きる。究極には私は一人を生きて死ぬ。なのに、それを引き受けず、さみしくて何となく誰かを巻き込んでいるような、不埒な理由で過去の亡きがらを引きずっていた。「ひいきされるのが辛い」と感じた幼い私を守らなかったのは、言い訳を用意していた自分自身だった。

 

目をそらしていたことが、くっきりと輪郭をあらわした時、久しぶりにめちゃくちゃ泣きました。

 

これからもしまたこのブログのような自己表現をするとなったら、父さんには知らせません。笑
私が自分を守ると言ったって、することといえば、「親に内緒でやる」それくらいのことです。

 

何も問題はありません。でもそれをしなければ、親の戸籍から出た意味もなく、私はいつまでも父の行動に冷や冷やさせられるでしょう。がんばります(笑)

 

それでも家族はあたたかい

そして、今やっとここまでの一連の思いをブログに書けます。読んでくれていた方へ、必ず何か言っておきたいと思ったのですが、今日(12月25日)まで書けませんでした。今日かけたのは、父に直接、上記の思いをぶつけられたからです。

 

クリスマスってファミリーで過ごすあたたかい一日のことだと思います。そんな日に私は、父親とタイマン張ってきました(笑)

 

幼いころから、父がこんなことをするたびに悲しい思いをしてきた。そして今も、こんなことをしているのを目にする度に、同じように感じている。

 

「そんなこと思っているって、知らなかった」と言われました。そりゃそうか。

 

父は思ったよりも悪気はなく、他の家族がどう思うかという配慮もなく、やってきていたようです。ガックシ。まぁ、そんなものだと思います。

 

私はこの田舎から都会に出て、広い世界を知りたかった。都会で出会った、とても頭が良い東大出身の先輩に教わったことがあります。

 

それは、

「悪口は、本人に言わないと意味がない」

 

ということ。本当そうだな、と今あらためて感じています。(ちなみに、その先輩からはそれ以外には大して有益なことは学びませんでしたw)

 

ただ、私は「父の娘である自分」以外の自分を知りませんでした。「そんなの大したことじゃないよ」と言われれば、そう思うことが正解だと思い込んできました。

 

私という個人が感じたこと、考えていること、それらをそのまま表現するとか、私にそんな力があるなんて思ってもみなかった。それを面白いと興味を持ってくれる人がいる世界を知りませんでした。日本という世界の例外のなかで信じてきたこと、それに反することを一つ一つしてきました。それを通して、自分はどういう人間なのかが少しずつ見えてきたように思います。それが、私のブラジルでの、結婚生活の、最初の2年間でした。

(結婚初期に、めずらしく夫のピーターが書いた記事。。結構なハードモードを私たちは一緒にくぐり抜けて来てる。) 
 

そのなかで、「私は傷ついていた、悲しかった」という自分の本音に気が付くことができました。

 

父さんの悪口を、父さんに直接言えて本当に良かったなと思います。私にとっては、とても良いクリスマスのひとときでした。笑

ありがとう、さようなら!

 

さて、年末にはブラジルから夫がホリデーを利用して日本へやってきます。正月開けたら、二人で40日間、日本を旅行する予定です。(相変わらずブラジル人夫の有給は長いし、100%消化する)

年末までに、なるべく実家を掃除して、家族で新年を迎えたいと思います。

 

ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました!
良いお年をお迎えください。

 

最後になりますが、私の大好きな詩でお別れしましょう!またどこかで!

 
ーーー

さようなら   谷川俊太郎

 
 

ぼくもういかなきゃなんない

すぐいかなきゃなんない

どこへいくのかわからないけど

さくらなみきのしたをとおって

おおどおりをしんごうでわたって

いつもながめてるやまをめじるしに

ひとりでいかなきゃなんない

どうしてなのかしらないけど

おかあさんごめんなさい

おとうさんにやさしくしてあげて

ぼくすききらいいわずになんでもたべる

ほんもいまよりたくさんよむとおもう

よるになったらほしをみる

ひるはいろんなひととはなしをする

そしてきっといちばんすきなものをみつける

みつけたらたいせつにしてしぬまでいきる

だからとおくにいてもさびしくないよ

ぼくもういかなきゃなんない

ーーーーーーーー

2018年12月25日

ペルフェイトあき子

 

by
関連記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です