不便な海外生活で身につけた、「無いままで笑える」チカラ。
一時はとても辛くて死にたいと思うほどに深刻になってしまったブラジルでの生活。
でもブラジル生活が3年目に突入する頃、「私、ブラジルに来てよかったなぁ」と、本当にふとした時に気が付けました。
目次
日本基準で見ていたら、ブラジルの生活が悲しくなった
東京で働いていた時に出会ったブラジル人と結婚して、ブラジルの首都ブラジリアに引っ越して2年が経ちました。
東京とブラジリアはとても違うので、最初はとても辛さを感じていました。期待していたことが起らなくて、何度も不機嫌になりました。正直、「何でこんな不便なところに来ちゃったんだろう」と自分の決断を振り返っていました。
ブラジルに来る前に東京で働いていた頃、初めてリッツカールトンでお茶を飲んだ時のことをとてもよく覚えています。8月の暑い真っ最中、平日の朝でした。月末に控えた大きなイベントを前に、毎日、方々の関係者と協力して衝突して、大きなうねりの中で必死に仕事をしていた日々。ある朝、一度だけいつも通りに起きれなくて午前休を取りました。
そして、出勤途中にリッツカールトンに行って、ポットでサーブされたお茶を、ゆっくり時間をかけていただきました。顔色の悪い私を、スタッフの誰しもが暖かくプロフェッショナルなサービスで迎えてくれました。45階から見晴らした東京の景色。束の間の、保健室にいるかのような時間でした。
ブラジリアに来てからも、保健室があれば寄りたいような時が何度もありました。
「海外暮らし」と「結婚」。今までの当たり前が崩される大きな環境の変化が2つ同時に始まって、なかなかスムーズに事が進まない毎日。言葉にしなくても分かってくれるサービスが懐かしくて泣きそうでした。
ブラジリアにも高級なお店はありますが、日本から来たばかりのまだまだ日本基準を引きずっていた私にとっては、喜んでお金を払いたいサービスはなかなかない(というか、無い)。
お会計するのもスタッフの人の動きをこちらで追って、タイミングを待つのはこっち側(それがまた、なかなか気が付いてくれないことがよくあるw)。決して安くない料金を払うのに、得られるのはこんな程度か、、、。そういう点を、来たばかりの頃は残念に感じていました。
過去の基準を無くすのは悲しいが、新しい始まりでもあるのだ
「これくらいの金額を払うんだから、これくらい美味しいものを食べれるし、これくらいは丁寧なサービスを受けれる。」
そういう期待が打ちのめされる度に悲しくて惨めでした。また、それに徐々に慣れていき何も感じなくなる自分に対しても、感覚が麻痺していくようで「私、これからどうなるんだろう?」と、ちょっと怖かったです。
さらに、生活費を夫に頼って生活している私は、在宅で働いていると言えども収入は東京時代の何分もの一になり、高級な場所へ行くことや一流のサービスを求めることさえも自分には見合わないようにも思える、という副作用みたいなのもあって、惨めの連鎖を自分から作っていくようでした。
お金を沢山払っても欲しいものは得られないし、そもそもお金力もだんだん無くなっていく、、、ブラジリアで過ごした2年間で、私は過去に「持っている」と自分では思っていたものを見事に無くしました。
でも、振り返ってみるとこの自分が持っている期待値や自己イメージを、一旦ゼロにすることが、新しい自分を創るに良かったみたいです!
期待値を引きずらないって、すごく軽い!
こないだ水泳教室でクロールを泳いでいた時に、ふと「軽さ」を感じたんです。
何も持っていないって、すごく軽いなぁ!
何もなくても、何か今日もしあわせだな。
心の底からそう思うんです。この変わりようは大きい。
・ 東京のリッツカールトンでお茶を一杯。
・ ブラジリアでのごく普通な生活。
前者で感じた幸せは、世界中が認めるほどの素晴らしい環境により得られたもの。私は、そこでの最低限の振る舞いをしていれば、あとはゆだねれば良い。
後者で感じたのは、ない、という軽さ。
世界一のサービス、なし!エアコンがちゃんと効いて静かにできるティールーム、なし!日本にあったものが、本当になくてなくて。(東京じゃなくたって、2018年の日本のどこを探しても、ブラジリアで感じた「無さ」ってないんじゃないか、と思います。)
なんだか徐々に、「もうどうでもいいじゃん!」って思い始めました(笑)。もう、無いし、それになんか最近ずっと暑いし(笑)って。もうどうでもいいよ、そんなこと!もう悲しくなりたくない!
そうしたら、「それでも、なーんだか楽しそうにしてるブラジルの人たち、いいなぁー!」って思えたんです。
ちょっとだけ次の人のことを考えて、自分の番が来る前に用意していればいいのに、いつもいつも混雑しているATMとか、メニューに書かれているうち半分くらいは「今日は無いよー」で済まされる在庫管理とか!
「何でそうなの!」と思うことは沢山あるけれど、でもなんだかんだ笑顔で生きている人たち。世界一のサービスがなくても、今笑うことってできるよな、って気が付きました。
ふっと笑えたんですよね。笑うと、肩の力が抜けていました。
そうすると、もともと東京でだって私が何か持っていたわけじゃない、と思えて。たまたま日本に住んでいたから、5000円握りしめれば世界最高レベルのサービスを受けれた。それは、とてもラッキーなこと。
東京や日本では思う存分期待していい。その期待は報われるし、そういうプレイを楽しむ場所。
でも、それをブラジルで握りしめてる限り、私は笑えない。
手放せ、てばなせー!
「期待値をリセットして&笑える」って、最強のスキル!
無い環境で笑えるって、最強なんです。
周りの環境にもっていかれない自分って、頼もしいですよ。
いま、平日の昼間に通っている水泳教室。周りはみんなブラジル人。言葉はあやふやでも、いつも笑顔いっぱいの笑顔のコーチやスタッフが迎えてくれます。
過去を思い出しても、今日を憂いていてもしょうがない。クロールの手を前から後ろに振り払うたびに、「ある幸せ」も一緒に振り切ってきたのかもしれません。「ない自分」を、ただ眺めてみたら、とても軽くて心もさっぱり。
「ある世界」と「ない世界」の、両極端な体験ができたと思います。(上には上がありますが、私にとってはリッツカールトンとブラジリアが目いっぱいの両極端ですw)
「私、ブラジルに来てよかったなぁ」と、本当にふとした時に気が付けたのでした。
だって、この感覚はお金じゃ買えない!
テレビみたいに、チャンネルが2つあったとして、それぞれのチャンネル用の感覚を持っているような。
・ ある幸せの世界を楽しめる自分、
・ 無い軽さの世界でも笑える自分、
自分の新しいバージョンが増えたような、新しい機能が備わったような。
きっと、東京に居続けていたら私は気が付けなかったし、一旦自分の持ち物を全部リセットするくらいでやっと見つけられることのような気がします。
ほんとブラジルに来てよかった、
幸せの種類が増えました!
ブラジリアより
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