ひと味違う人生を実現する「〇〇い力」
元来が土臭く泥臭い人間で、何事もスマートにこなすことが大の苦手です。自然のリズムに乗り、土に触れている時が何よりも好き。
そんな人間なのに、なぜか上流階級の方とご縁がある人生でもあります。「上流階級」という言葉をヒョイと使うところが、いかにも私の育ちと人格を物語ってしまっているんですが(汗)
例えば、某大企業の元副社長とひょんなことから出会ってパーソナルなお付き合いをさせてもらったり(『釣りバカ日誌』という映画でこういう関係ありましたね)、元職場では「社員は誰でも参加可能」と謳われているものの、実質はエグゼクティブしか参加しないカクテルパーティーになぜか一人で参加し、直属の上司に「え、あきこさん、来たの!?」とびっくりされたり。こういうことがいくつかあります。30歳を超えてからは特に酷い。
言うならば、私はとんでもない「場違いヤロー」です。
昨日も、先月から参加し始めた合唱サークルの練習に行ってきました。練習は、某大使館の大使官邸で行われています。入り口でIDを見せ、3重にも渡るセキュリティドアをガードマンに一つ一つ開けてもらって敷地内へ入り、さらに5分程歩いた先に官邸があります。
官邸の一階にある広いリビングルームには、既に合唱サークルのメンバーが数名到着していました。メンバーは外交官や国連関連の仕事をしている人が大半を占めます。仕事帰りの人もいるものの、多くはおそらく仕事から一度帰宅してシャワーを浴びてから来たであろうことが、服装や上気した肌ツヤから見受けられます。(練習は19時開始なので、彼らは恐らく18時前には仕事を切り上げているのでしょう。残業大国から来た私には、それだって特筆すべきことです)
ゆうに20人は腰かけられるであろう大きなソファセットで談笑を交わすその奥には、小さくて品の良い木製のピアノが鎮座しています。後で、そのピアノを囲んで練習するのです。
優雅。
それ以外の言葉が見つかりません。同時に、なんでここに私がいるんだろう、と我に返ります。
場違い。
だーよーねー!!!
状況をあらわす言葉を見つけることで、人は安心するものです。あぁ、良かった。
まさか、私も、周りのみんなのように流暢すぎる英語をペラペーラとしゃべるとか、誰でも自由にいただけるように提供されているワインをこなれた感じでいただくとか、そんな振る舞いができなきゃいけないのかと思っていました。あぁー、よかった!私は「場違い枠」でここにいるのだから、正々堂々とギクシャク・ドギマギしていよう。(笑)
このサークルのことは、Facebookの地域交流コミュニティで知りました。ある時「合唱サークルに興味がある人を募集しています。詳細はこちらへメールしてください。」とだけ書かれた投稿がありました。
詳しい情報も愛想も一切ないその投稿に、なぜか心が惹かれメールを送ったのです。そしたら返事が来てあれよあれよと参加できることになりました。最初は「どこかの公民館かもしくは街角ででも集まるのかな」と想像していました(実際に街かどでバンド練習する人たちを見たことがあるのです)。指揮をとっているのは某大使夫妻で、練習は某大使館の中で開催されることを最後に知りました。
はっきり言って「ラッキー」。ただえさえ、他人とともに合唱できることに感動しているのに、さらにこの上なく美しい空間でそれができるのです。「外交官になって、ブラジルに赴任されて、そして、、、」と真っ向の実力勝負であれば、私には到底たどり着けないような場所に、なぜかいます。周りには、実力でたどり着いた人達がほとんどのなかで。
「また、“場違い” やっちまった」と正直思っています。はたで見ている夫は、相手の素性を知らずにフランクに会話をしていく私を見て、たまに心臓が止まりそうになるそうです。勘がいいのか、常識の欠けたタダの田舎者なのか。もし私がもう少しましな人間で常識があるならば、恥ずかしくていられないのかもしれません。
この記事、大好き。
場違い枠。堂々とギクシャク・ドギマギしていよう!
いいねわたしもよくあるこの状況、場違い枠という言葉でとっても安心した!