「外国人」というラベルを超えて、初めて友達になれる

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ブラジルへ移り住んで2年になります。
今でこそ慣れてきたものの、最初のころは分からないことだらけで戸惑いもたくさんありました。
 
その頃のできごとは、ブログにはほぼ書けていない。
でも日記のようなものを書いたり、親しい友人へメールを送ったりしてました。
今なら、自分の中で距離をもって見れるので、ここにも書いてみようと思います。
 
新しい環境で戸惑うって、きれいごとじゃない。笑
「こんな感じだったな~」って、いつか笑って振り返られますように!
 

photo by JUN

ポルトガル語のクラスで仲良くなったのはハイチ人の子

最近またポルトガル語学校に通ってる。
一番仲がいいのはハイチ人の女の子だよ。面倒見がいい子で、年下だけどいろいろ面倒みてくれる(笑)。
この子がハイチからブラジルに来た理由は、ブラジルの大学へ進むためらしい。

彼女は母国語がクレオール語とフランス語、私達はつたないポルトガル語で話をする。
細かい話になると、正直なところ分からないこともいっぱいある。笑
 
そんな状況だけれど、一緒にいると楽しい。 
 

言葉が分からないゆえの勘違い

 

こないだ学校で、とある事件が起きた。
 
先生が言ったことを私が間違えて認識して、私クラスの中で泣いてしまった!
 
私が、質問に答えた内容について先生が大きな身振り手振りで何かを言った。それで、クラスのみんなは笑った。
 
私は先生が何を言っているのかちゃんと解っていなくて、とっさにワタシをからかったんだと思ってしまった。
 
悔しくて悲しくて!
 
「こんな気持ちでここにはいられない。今日はもう帰る!」と言って、授業の途中で出ていこうとしたら、先生が必死にとめた。
 
悔しい!という感情は収まらないのに、同時に「30代にもなって感情をぶちまけて私なにやってるんだろう」って情けなくもあり。涙が出てきてしまった。(いちばん恥ずかしいヤツ)
 
12人くらいいたクラスメイトのうち、そのハイチ人の友達ともう一人の子が、私の気持ちに気が付いてなだめてくれた。それで授業に戻った。
 
その様子を見ている子も、気にしないで無視している子もいた。
(私はそのドライな感じも、その子が自分を持っているように見えて、いいなと感じた)
 

文化の違い

先生はポルトガル語とフランス語を話す。私は日本語と英語なら分かる。
 
どんなにお互いに分かろうとしても、こういうシチュエーションでは、相手が何を言いたいのか分からなくてもどかしい。 
 
自分の語学力では、言いたいことが伝わらず「なんであのシチュエーションでこんな反応したのか」全然届かなくて遠い。 
 
授業の後で、英語も話す事務局の人に間に入ってもらって話をしたら、私が言葉の意味を間違えて解釈してたってことが分かった。
 
いろんなことを学んだよ。
 
ブラジルでは、親しみを込めて相手をおちょくるような冗談を言うことがある。
それは、相手を受入れているよ、という意思表示。

そういう感覚が存在していることに驚いた。
 
私はその感覚を持っていなかったから、「何でそんなこと言われなきゃいけないの!?」ってマジになった。冗談が伝わらない人みたい。笑

でもしょうがないじゃんね。知らなかったのだから。
私が正直な反応をしたことで、結果としてお互いのことが前より少し分かった。
  
結婚とブラジル暮らしは、「思ったことを言う」という訓練の場だ。
 
日々こんなことの繰り返しなんだから、対話をあきらめない相手じゃないと続かない。
 

自分が「外国人」になって感じること

 
でも言葉の壁が取り除かれたあとでも、私はその先生のことやっぱり好きじゃなかった。
 
それは先生が私たち生徒に向って、「外国人が好きなの!」と大きな声で言ったから。
 
今わたしはここでは外国人という立場だけれど、変な違和感を覚えた。
 
「外国人」というラベルを貼られたような感じ。
 
私も日本にいた時は、外国人と話をするのはすごく好きだった。だから、先生の言ってることも分かる気がする。
 
でも今、そう言われてみて、私個人を無視されてる気がした。
 
なぜだろう?と振り返ってみる。
 
私が外国人と話をするのが好きだった時は、「英語を話せば本当に相手に伝わるんだ!」ということに、まず感動していた。 
 
相手が身に着けているモノや、普段の生活や、考え方が目新しくて、ささいなことでも知ることが楽しかった。
 
それは純粋に今でも楽しいと思う。

でも外国人の立場になってみると、また違う感覚がある。「その先の会話には興味ないの?」という感じ。
 
例えば、私の夫(ブラジル人)は、ご飯をちょっとだけ残す。
 
私は「美味しくなかったのかな?」と不安になったけれど、彼によると別の意味。
 
「ホスト/ホステスは、僕が食べきれないほど沢山料理をふるまってくれた」という、一種の食事のマナーらしい。
 
いつも残すわけじゃないけれど、残す時には悪い意味はない。
 
そのことを、日本に住むある友人に「ブラジル人はこうなんだよ~」と話したことがある。
 
でも友達は、
 
国ごとにそんな特徴があるのは確かだけれど、結局は“個人”によるでしょう?」
 
と言った。
 
彼女は世界一周を旅して、各地でいろんな人と交流したうえで、そう考えているらしい。
 
その会話をした当時は、彼女の言うことが腑に落ちなかった。「そりゃそうだけど、各国ごとにその国の文化ってあるじゃん。」って。けれど、今になって彼女の言ったことを「本当にそうだな」と思った。
 
ブラジル人が、毎回食事を残すわけじゃない。でも、そうするのがマナーだと考える人もいる。
 


 

「外国人だから」と、興味を持ってくれるのはしょうがない。
でも私は、「Akikoが好き」と言ってくれる人と付き合いたいと思った。 
  
 
「異文化交流って、何だろう?何がそんなに楽しいんだっけ?」
 
そう思ったほど、“分からなさ”や“伝わらなさ”に、ほとほと参ってしまうことがある。

でも、泣いたり悔しかったり恥ずかしい想いをした後で、やっと目の前いる人達のことが少し分かったかも、という実感が積み上げられていく。
 
私は別にブラジルが大好き!なわけじゃない。
でも別に日本も大好き!じゃない。
 
良いのか悪いのか分からないけど、世界中のどこにももう「憧れ」がなくなってしまった。
パリやニューヨークに住めれば、私自身は輝いて、人生は明るいのか?
 
そんな訳ない。
どこに行っても、良いところもあれば問題もある。 
 
 
目の前にいる相手とは異なる要素や属性を持つことは事実だけど、それは「私」という人間の一要素である、だけ。
 
今のところ残ってるのは、友達。
 
どこの国の人でもいい。
自分が「この人のこと好きだな」と思える人とつながっていられることが好き。
大事なことはそこだと思っている。

泣いた日の帰り道。

 
(補足)
学校にはとても真摯で熱心な先生方がたくさんいます。
たまたま私があの先生と相性が合わなかった、ということだと思います。

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コメント2件

  • Tomoka より:

    Akiko様、はじめまして。ブラジルに住んでる方のブログを探していて飛んできました!私は5月からブラジリアからも近い?ゴイアニア にブラジル人の彼と一緒に住むために来ました!今ブラジルに来て2ヶ月ちょっとですが、家族も友達もいない、ポルトガル語も全然話せない、仕事もできないという状況に落ち込んでいます(来る前からわかっていたことですが)
    Akiko様のブログを読んでもう少しここで頑張ってみようかな、と思いました☆これからもブログ楽しみにしてます。
    長文失礼致しました!

  • sleepycitybugs より:

    Tomokaさん、こんにちは!コメントありがとうございます。
    ゴイアニアにお住まいなんですね。ブラジル感覚で「近いな、お隣さんじゃん!」って思いました!
    今の状況は来る前から分かっていたとはいえ、実際にそうなってみると落ち込むの、、、、めっちゃ分かります。
    あー、こんな感じなんだーって実際に体験してみるまでは分からないこと、たくさんありますよね。

    もしチャンスがあればいつでもブラジリアに遊びに来てください!
    ブラジリアの友達はゴイアニアに遊びに行ったりしてるみたいで、私達もいつか行ってみたいなと思っています。

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