専門性を高め続けるのではなく、あえて雑多にキャリアを積み上げる。アメリカ女性から学んだ自己実現の多様性。〈後半〉
さてさて、前半ではインプットも多様に、という気付きをシェアしました。
後半では、キャリア選択について、私が出会ったとあるアメリカ人女性を紹介したいと思います。
夢をキープしつつ、食べて行く選択。
私は3年前に、アメリカのオーガニック農場をめぐる旅をしていました。ニューヨーク州北部の農場で私を迎え入れてくれたのは70代のソニアでした。私はそこへ3週間程住み込みながら、ソニアとソニアのパートナーの農場の手伝いをしました。
農場での暮らしは、ほぼ自分達の手作り。食べ物は、野菜や卵、チーズやパンなど、全て農場で育てた材料のもの。卵やチーズの原材料として、鶏やヤギなども自分達で育てています。牛肉は地域のファームから一頭購入し、部位毎に切り分けて冷凍しておきます。それを一年かけて食べます。
自家発電もしています。羊毛をつむいでセーターを編みます。ワラの家も建てており、自分達の暮らしのベースを自分達で作り上げていました。
そのころ「オーガニックな生活」を目指していた私にとって、農場での暮らしは夢のようでした。なぜならば、農業で食べて行くのは難しいと思っていたからです。
私は、こんな暮らしがしたいけど、
実際には食べていけないんじゃないかな〜。
でも、こんな暮らし、いいな〜。
夢を取るか、現実を取るか。
0か100か。
そんな選択しか私には浮かびませんでした。
でも、ソニアに聞くと、農場が軌道に乗るまでは、
都会でお勤めもしていたそうです。
パートナーが農場に100%専念する。
ソニアは月曜〜木曜はマンハッタンでお勤めをする。
金曜〜日曜は農場に戻る。
そんな生活をしていた時期もあるそうです。
それを聞いて、私は視野が広がりました。
夢を実現させるまでには、自分の好きなだけ時間をかけていいのだと。
いつまでに、夢をかなえる?
私は日本で大学を卒業して会社員になりました。30歳頃には、マネージャーやチームリーダーとしてマネジメントをまかされるようになる。40歳前後で課長になって、部下が○人いて。
そんなキャリアパスが主流なコミュニティで生きていました。
そのため、自分の夢を叶えたい!と思ったときも、夢を実現させる時期をそのパスに沿って考えていました。
農業で食べていくのは難しい。→30代で子どもも欲しい。→家族を食べさせるために、農業への道はあきらめなければいけない。
と、こんな思考回路です。30代を前にして、焦りや不安が募りました。
ソニアに会って、今すぐは叶えられない事も、時間をかけてパートナーと一緒に、というやりかたもあるんだと知りました。
農業で食べて行くのは難しい→一人は会社勤めする→子育てが落ち着いたら二人で農場経営に専念。
ソニアのように、自分の夢を叶えるのが70代になってもいいな、と思いました。なぜならば、ソニアは70代でも全然引退した感じはなくて、大活躍していたからです。
農場だけでなく、地域のプロジェクト(若者に教育の機会を与えるような)の主要メンバーだったり、コミュニティ・ラジオで自分の番組を持っていました。mac bookを朝7時から、パチパチ叩いて、breakfast meetingなどを、他のパワフルなアメリカ女性達としていましたよ。
年齢にとらわれず、自分の軸を持って生きているの女性に、
アメリカでは沢山出会いました。
それで、ちょいと私の話。
さて私自身ですが、雑多なキャリアを描いています。
海外と日本を数年単位で行ったり来たり、の生活を思い描いているので、
そんな生活でも持続可能な形を探しています。
■夢の仕事
昨日は砂つぶがどうとか、ふわふわしたことを書きました。これは私の夢とかやりたい事に近い領域の仕事。はっきり言って報酬は少ないのですが、私にしかできない仕事だこれは。というもの。
■現実に支えてくれる仕事
ワクワクではないけれど、生活を支える大切な軸になりそうなもの。
■目に見えない報酬
やりたいボランティア活動もあります。報酬はお金ではなく、新しい経験と出会い。こういうのも、大切にしたい。
こんな雑多な活動を組み合わせながら、やっていくかな。というところです。
パートナーの収入なければ食べていけない状態ですが、
パートナーと一緒になるつもりで育てているキャリアだから、方向性としてはこれでいいかな、と思っています。
まとめ
ひとつの柱を、太く作るのもあり。
一方で、色んな柱を、その時々で作っておくのもあり。
自分の夢を摘みとる時期も、
誰と一緒に摘みとるのかも、
自分基準で考えてもよしです!
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